目にも鮮やかな新緑が美しい季節になりました。今年のテーマは五節句。今回は、女の子の健やかな成長を願う雛祭り上巳の節句に続き、男の子の健やかな成長を願う端午の節句についてお伝えします。
張り子でできたこいのぼり
こどもの日
端午の節句の5月5日は「こどもの日」。終戦後の昭和23年「男の子だけでなく、すべての子どもの健やかな成長を願う日」として祝日に制定されました。環境悪化が進む中、子ども達の健やかな成長も私たち大人の課題のひとつです。
先日、全国各地に広まっている「オーガニック給食」をテーマにしたドキュメンタリー映画「夢見る給食」を鑑賞しました。給食を、できるだけ農薬を使わない食材でつくられたオーガニック給食に変えてゆくために奮闘する市民や公務員、農家の人々の姿が映し出されていました。
映画の中で「小学校6年間で子どもの平均体重は約2倍に。私たちの体は食べたものからできているから、子どもたちの体の約3分の1は給食でできている」と。わかっていることですが、改めて小学生を考えたとき「なにを口にするか?」で心身だけでなく成績も大きく左右されます。オーガニック食材をとり入れる学校が増えることをただただ願うばかりです。
端午の節句・菖蒲の節句
菖蒲湯用の菖蒲とよもぎ
ところで、端午の節句「こどもの日」は他の節句同様中国が由来。「端」は「はじめ」を「午」は「午(うま)」を表し、「月のはじめの午(うま)の日」のこと。「午(うま)の月=5月」最初の「午(うま)の日=5日」で5月5日。この時期は急に暑くなり邪気が入りやすかったため、邪気を払う行事としてはじまりました。
端午の節句は別名が菖蒲の節句。邪気を払うために使用されたのが強い香りで厄を祓うとされる菖蒲やよもぎ。軒につるしたり、軒先にさしたり、菖蒲を酒にひたして菖蒲酒にして飲んだり、菖蒲枕といって枕の下に置いたり、菖蒲湯に入ったりします。
日本には奈良時代に伝わったと言われています。今のように男の子の健やかな成長を祝う日となるのは、江戸時代に入ってから。 邪気を払うと言われる「菖蒲」と、武を重んじることを意味する「尚武」をかけて、武家のあと取りとなる男の子の成長を願うようになりました。
端午の節句に鎧や兜を飾ることは武家社会から生まれた風習。鎧や兜は身を守る大切な道具。事故や病気からわが子を守る願いが込められています。
鯉のぼりを飾ることは町人階層から生まれた風習。武家では男の子が生まれると、玄関前に馬印や幟を立てて祝っていましたが、庶民はそれを許されていなかったため「鯉のぼり」ができたそう。鯉は「鯉の滝登り」と言われるように、強くて流れが速い川でも元気にのぼる魚。たくましい鯉のように元気に成長し、立身出世を願う意味が込められています。
わが家では端午の節句に鍾馗(しょうき)人形が飾られていました。中国の官人の衣装を身に纏い、長いひげをたくわえた勇ましい姿は、小さいときこわく感じた記憶があります。鍾馗は生前高級官吏になるための試験に合格。亡くなった後は、唐の時代の皇帝がマラリアにかかり悪夢に悩んでいたとき、夢で皇帝を救ったと言われています。そのため、鍾馗人形は学業成就や疫病除けのご利益があるとされています。
柏餅と鍾馗人形
ちまき・柏餅
端午の節句で食べられるお菓子がちまきと柏餅。ちまきは中国伝来。5月5日が命日の、屈原(くつげん)という詩人の死を供養するためのものでした。霊に捧げるため、彼が身を投じた河へ米を詰めた竹筒を投じていたそう。あの独特な形は、河に住む龍に食べられないよう、龍の嫌う葉で米を包み糸で縛ったためと言われています。
柏餅は、その名の通り柏の葉で餡の入った餅を包んだもの。端午の節句に食べる習慣になったのは江戸時代。柏の葉は新芽が出ないと古い葉が落ちないそう。たとえ寒い季節になっても大きく育ち続けることから、家系の永続を願う武家にとって縁起物。子孫繁栄の願いが込められています。
端午の節句はちまきや柏餅を食べ、菖蒲湯に入るのも楽しみですが、未来を担う子ども達のためになにができるかを、今一度深く考えたいと思います。
ポジティブ・エイジング アドバイザー、健康管理士一般指導員、食育インストラクター。福岡市出身。時間とともになんとなく年をとるのではなく、加齢に対して前向きに準備をしながら素敵な年齢を積み重ねてゆく=「ポジティブ・エイジング」を提唱。東洋医学のある暮らしでうつ病や難病も克服。お子さんからシニアまで幅広い世代の方に、セミナーや講演会を開催。福岡県立高等学校食育出前講座、西南学院大学市民講座などの講師を務める。