オーガニックな自然体、苔 ~ 自然の織り成す微小なタペストリー ブームの舞台裏で栽培を支える人たち

リサーチャー 青木恭子

苔は、今から4億年以上前、水中から地上に上がった最初の生命体である。地球を大量の酸素で満たし、陸上に生きる動植物の進化の礎となった。地上の生命の「母」である苔のもつ癒しと再生の力に魅せられてか、苔は今、静かなブームを呼ぶ。苔盆栽や庭園のような伝統的な枠を超え、苔ガーデン、壁面緑化から、苔玉、テラリウムまで、苔は森から出てじわじわと人間の生活空間に浸透しつつある。その舞台裏には、明治以来途絶えていた苔栽培技術の復活・普及の努力があり、農業者やデザイナーらの広がりがある。2017年10月11~13日、幕張メッセで開催されたIFEX(国際フラワー&プラントエキスポ)で、苔のパイオニアたちのお話を伺った。


 写真 スギゴケ育種箱(島根県江津市「52 KOKE PROJECT」 IFEX2017 幕張メッセ)
 
 
●現代の苔栽培パイオニア、詩人の北川義一さん(日本苔技術協会(JMTA)代表)
世界には、約1万8000種類の苔が存在しているという。日本にはそのうち1割、1800種類の苔が生息している。日本の湿潤な気候は苔の生育に最適で、古来から苔は日本人の美意識に深く関わっている。江戸時代までは造園にも盛んに取り入れられており、苔の栽培管理技術があったのだそうだ。ところが、近代化で芝生が普及していくにつれ、伝統的な技術は急速に失われていった。
 
独自の技術で現代に苔生産技術を復活させたのが、日本苔技術協会(JMTA)代表、新潟の「苔神工房」主宰の北川義一さんだ。苔の魅力に引き寄せられ、日本鮮苔類学会の会員になったが、アカデミックな研究者がほとんどで、栽培技術を持つ人はいなかった。「君がやってみたら」と勧められて、始めたそうだ。
 
苔を乾燥させ、瀕死の状態に追いやることで、苔は子孫を残そうとして芽を出す。その芽を用いてクローン培養で苗を栽培し、乾燥させて「苔の種」(外見は種にそっくりだが、実際は種子ではなくクローン)を作る。これが北川さんの技術で、乾燥処理により長期保存が可能になった。
 
苔は花や実を持たず、胞子で繁殖する隠花植物である。多くの高等植物と異なり、根も持たず、植物体内部に水分を運搬する維管束もない。水分の98%を失っても乾燥して枯れることがない。水が戻れば元の形状を復元する「変水性」という特異な性質を持つ。個体としての生命を超越し、クローンで半永久的に生き続ける。千代に八千代に、半ば不死で…。胞子からも殖えるが、人為的な生産は非常に難しい。いまだに成功例がないそうだ。苔の精子は微小で弱く、移動に水分が必要で、雨量が足りないと受精が困難にある。水分があっても、水の表面張力は精子の移動の障害になる。それほど小さい。
 
北川さんが効率的な苔の量産化に成功したのは10年前。既に「苔の種」(ウマスギゴケ、ハイゴケ、エゾスナゴケ混合)や「苔の苗ドライシート」(A4サイズ、A3サイズ ハイゴケ、エゾスナゴケ、ホソバオキナゴケ)(特許取得済)などが商品化されており、検疫もクリアーできるので、海外へも輸出可能だという。現在、国内には苔専門の生産者が増えているが、多くは北川さんの主催する日本苔技術協会(JMTA)の技術指導を受けた人たちである。


 写真 苔玉ポット(苔神工房)
 
 
●栽培から苔玉インストラクター養成、町おこしの裏方まで
今、苔はインテリアから屋上・壁面緑化、アクアリウム、ガーデンにと日本だけでなく、海外でも広く取り入れられるようになっているが、苔の活躍場面がこれだけ増えたのは、舞台裏で、安定してクオリティの高い苔を生産する技術が確立してきたことが寄与している。JMTAはさらに、生産指導だけではなく、苔玉インストラクター養成も行っており、苔の普及にも余念がない。
 
北川さんは、苔に関して、栽培技術研究・普及教育活動、量産化確立、直販取引、ユーザー教育、苔に関する事業開発までオールラウンドで手掛け、特許も持っている。苔は日本だけでなく海外でも評価が高まっている。これだけ手堅い基盤があれば、さらに大きなビジネスもできるはずだが、ご本人は「仕組みはあるけど、商売にするのは、やりたい人がやってくれればいいんですよ」といたって淡泊だ。
 
「僕はね、詩人なんですよ。苔に出会うずっと前から」。なるほど、洒脱で快活な空気を身に纏った、自由人である。
 
苔の魅力とは何だろう、北川さんに尋ねてみた。「苔はマイナーで、誰も知らない世界っていうことかな」という答えが返ってきた。目を凝らし、ルーペで覗いてみる。一つ一つの苔の張り具合、無数の苔たちが折り重なり織り上げるミクロコスモス。日本には1800種の苔があるが、安定して生産できるところまで生態が解明されたのは、ハイゴケ、スナゴケ、スギゴケ、ヒノキゴケ、チョウチンゴケなど、合わせてもその100分の1程度のようだ。足元に広がる微細な苔宇宙は、それほど奥が深い。自然はフラクタルである。人工物と異なり、いくら拡大しても無限に細部が現れる。苔は自然そのものの自己相似的メタファーなのだ。


写真 明治以来失われていた苔生産技術を復活させた「苔神工房」の北川義一さん
 
 
●広がる苔農家
苔が葉や茎、仮根を発達させ、全体のテクスチャーが密に詰んでくるまでには、最低2年はかかる。長い。それでも栽培に取り組もうという生産者たちは、中山間地で農業に新たな活路を見出そうとする篤農家から、苔専業というニッチなスタイルで自立を賭ける新規就農者まで、それぞれのストーリーがある。
 
IFEXには、苔神工房を囲むようにして、北川さんの指導で苔栽培を学んだ生産者の方たちが出展されていた。その一人が、「ソーラーモスファーム」の二木眞一さんである。二木さんは長野県松本市の稲作農家だが、息子さんの発案で太陽光発電に乗り出した。大震災の頃で、まだ太陽光発電の買取価格が高かった時期である。稲作の今後は、見通し不透明である。二木さんは農業経営が自律的に成り立つ作物を模索した末、苔に行き着いた。ソーラーファームは、6反(約6000㎡)の一等農地である。苔なら発電装置設備の下で栽培できる。農業委員会や行政の壁もあったが、2016年から苔栽培にこぎつけた。ブースの苔のサンプルはまだ1年目で、二木さん曰く「市場に出すには、まだちょっと充分な状態じゃないんです」。ただ生育は順調で、二木さんは来年あたりからは、「苔生産で経営が成り立つのではないか」という感触を得ているという。
 
苔に魅せられるあまり、新規就農で苔生産者に転じた人たちもいる。システムエンジニアや会社員からの若い転身組である。苔の場合、野菜と異なり、直接消費者に販売するよりは、BtoBが多いようだ。造園業者やホームセンターが主な買い手だが、苔ごとに水のやり方や日光の必要量は異なる。メンテナンスに通じた相手を選ばなければ、枯れてしまうこともある。生産者としては、なかなか利用現場まで直接に品質のコントロールができないことが、ジレンマとなるようだ。


 写真 栽培1年目(左)、2年目(真中) 断面を見ると、苔の層の厚みが違う。3年目(右)は葉も発達し、表面はふわっ、全体は絨毯のような質感が出てくる
(鹿児島の新規就農苔生産者「苔MOSS’」のホソバオキナゴケ)
 
苔栽培は、中山間地の再生手段としても可能性を秘めている。島根県江津市の「52(ごうつ)KOKE PROJECT」プロジェクトは、北川先生の技術指導を得ながら、大阪の自然化粧品会社ドクターリセラの資本と自治体、地域の森林組合や生産者が結びつき、専業プロデューサーのコーディネーションで、苔による町おこしに成功しつつある。


 写真 苔のミニチュアガーデン 水の流れる滝と苔むす倒木 水槽内に10種類以上の苔が綿密に埋め込まれている(江津「52 KOKE PROJECT」)
 
 
●隙間植物のニッチなエコノミー
もともと苔は、熱帯雨林から永久凍土が広がるツンドラまで、地上のあらゆる生態系で生存可能な、偉大な隙間(ニッチ)植物である。コンクリート・ジャングルにでさえ、僅かな窪みに水分さえあえれば、コロニーを作り出す。苔が表面を覆えば、その上で他の植物が芽吹き、新たな生物生息空間が生まれる。苔は荒れ地の地表を覆い、土壌浸食を食い止める畑の救急隊でもある。しかも、農薬も肥料も必要としない。
 
隙間植物である苔は、作物としてはマイナーな存在だが、栽培技術の進歩と生産者の広がりで安定供給ができるようになった。苔玉から、アクアリウム、ガーデン、アート・インスタレーションまで、国内外で静かにニッチな苔経済圏を築きつつある。苔のヒーリング・パワーに癒されることがあったら、こうした舞台裏の人たちと密かに想いが通じたということであり、山間地の再生につながるということ。そう思いたい。


 写真 流木+苔(江津「52 KOKE PROJECT」)

画像は全て執筆者の青木恭子撮影

 

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青木 恭子

執筆者:青木 恭子

リサーチャー。英国、ラテンアメリカを経て、現在、東京在住。 農業関連ではオーガニック関連の調査(マーケティング、法政大学)や、花の環境認証MPSジャパンのプロジェクトに関わっている。 石見(島根)に畑と山あり。子供時代からベジタリアン、週の半分はヴィーガン。

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