ジャムが必需品の我が家では、毎年4,5月ごろには甘夏みかんでマーマレードを作るのが恒例で、瀬戸内産を使ってではありますが、その作り方を当サイトでもご紹介したことがありました。昭和24年(1949年)に、その甘夏みかんを導入して、当時、寒村だった地元に振興し、村づくりに大成功を収めた熊本県芦北郡芦北町田浦の鶴田有機農園を、この11月下旬に訪ねました。
旧暦の8月1日深夜に海上に現れるという不知火(しらぬい)から、不知火海とも呼ばれる八代海を望む芦北町田浦(あしきたまち・たのうら)は、福岡から行くと九州新幹線で新八代まで行き、新八代でJR肥薩のその名も《オレンジ》鉄道に乗り換える「たのうら御立岬(おたちみさき)公園駅」が最寄駅です。
【オレンジ鉄道車窓。窓の外には八代海が広がります】
山の斜面に広がるミカン畑
山と海に挟まれた狭隘の地、田浦は田んぼや畑にできる農地が少ないことから、熊本でも最貧の村のひとつでしたが、昭和34年の甘夏みかんの東京出荷で甘夏みかんブームに火が付き、ミカン畑は山の斜面を切り拓き作られていきました。甘夏最盛期の昭和40年代には、甘夏の木1本で1万円の売り上げがあるといわれ、田浦だけで年間42億円の売り上げがあったそうです。
【最盛期には山の頂上まで甘夏が植えられていた】
【山の中腹に広がる鶴田有機農園のミカン畑から八代海を望む】
鶴田有機農園の成り立ち
その歴史を江戸時代初期にまで遡ることができるという鶴田家は、明治30年(1897年)に柑橘類の栽培を開始。明治33年には日本で初めてレモン、ネーブルオレンジ、グレープフルーツを植え付けました。
園名に冠されている「有機」栽培への取組も早く、昭和8年には一部、22年には本格的に開始。24年に栽培がスタートした甘夏みかんをもっと美味しくするために、47年には土壌微生物の働きを最大限に活用する目的で化学肥料と除草剤の使用を一切やめ、モグラも共存できる完熟発酵の「肥料」兼「堆肥」を開発して、全国の仲間たちにも広めていきました。有限会社鶴田有機農園の設立は平成6年です。
【有機JAS認定圃場の元気な土壌微生物のおかげで木のてっぺんまでたわわに実っている《甘夏》】
9月のレモンから翌年7月の河内晩柑まで年間リレー栽培
鶴田有機農園は、およそ14 haの総面積に、9月のレモンから始まって早香(はやか)や温州、不知火(デコポン)、甘夏、さらには河内晩柑の7月まで、年間を通して15~6種類もの柑橘類を栽培しています。
みかんの新品種は、選定に10年、世に出すのに20年ほどかかって商品化されるそう。ですので、現在の周年栽培が軌道に乗るまでには、さらに旱魃や台風、鳥獣対策、傾斜地での重労働など、大変なご苦労があったようです。その詳細に関心のある方は、当サイトトップに使用している画像の著作《ミカン山に吹く風》(発行:熊本日日新聞社)をご覧ください。
現在、鶴田有機農園の主力はレモンや甘夏、不知火などで、生協やイオンで販売。国産の、それも有機栽培された甘夏やレモンは皮まで安心して使用できるとして大好評だそうです。田浦の甘夏は今では最盛期の1/4ほどに減産されてしまいましたが、今年、化粧品分野への新たな用途が提案されたとのこと。
【ミカン畑を案内してくださった株式会社マルタ会長の鶴田志郎さんと園主の鶴田ほとりさん】
【右のグリーンレモンは和食に合うそうです】
【ミカン山巡りの最後に、皮ごとのグリーンレモンが入った香り高い紅茶をいただきました】
甘夏の摘花を集めてエッセンシャルオイルに
甘夏ミカンは柑橘類の中でも特に花つきのよい品種です。結実する実の10倍~100倍もの花が咲き、果実の収穫分を残しても、大量の花が収穫できるとか。
有機栽培されている鶴田有機農場の、高品質で、肌に使っても安心な甘夏ミカンに着目したオーガニック化粧品開発製造専門家森田惠子さん(熊本県)が、今年の甘夏みかんの摘花で集めた無駄花をエッセンシャルオイルや化粧品原料にすることを提案してくれたそうです。思いがけない用途の広がりに鶴田ご夫妻は喜んでいらっしゃいました。
日本の甘夏は、ネロリと呼ばれるビターオレンジの花から得られる精油原料の中でも、やわらかな香りと保湿効果の高さが特長だそう。鶴田有機農園のオーガニック甘夏ならではの化粧品ができるといいですね。
【甘夏の花の画像はいずれも森田惠子さんよりご提供】
鶴田有機農園 企業情報
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