熊本県山都町で37年間有機肥料無農薬栽培を続ける「しもだ茶園」の思いとは

九州の真ん中にある熊本県山都町。そこは、深い谷筋に美しい景観をなす茶畑や棚田が展開する地。「しもだ茶園」は、四方を河川に囲まれた深い渓谷をなしている白糸台地にあります。

水を貯めない火山灰土壌のため、江戸時代は常に水不足で農産物の栽培が難しく貧しい場所だったそう。

1854年、慢性的な水不足を解消し民衆を救うため建設されたのが、国の重要文化財に指定されている「通潤橋」です。今でも現役の通潤橋から絶え間なく流れる農業用水は、地域のすべての農産物を潤しています。

通水管に詰まった堆積物を取り除くため放水が行われます
放水の時には観光客もたくさん
(画像:通潤橋の概要

そんな通潤橋の恩恵を受けている地で、1985年から有機肥料で農薬や除草剤をまったく使用せずお茶の栽培を続けている「しもだ茶園」。つくられているのは、全国での生産量1%未満という希少な「釜炒り茶」です。生産から加工、販売までを一貫して行う、「しもだ茶園」の下田博臣(しもだ ひろおみ)さんと奥様の小百合さんへお話をうかがいました。


さらにクオリティを上げ美味しいお茶をつくっていく

博臣さんと小百合さんご夫妻
しもだ茶園はお母様との3人体制です

お住まいは、築150年という古民家を改築した雰囲気のある佇まい。お茶の農繁期は5月。農閑期の11月は、干柿や巻柿の生産が行われていました。博臣さんが家業を継いでから名称は「下田茶園」から「しもだ茶園」へ。先代以前までは、慣行栽培が行われていたとか。慣行栽培から有機栽培へと、栽培方法が変化したきっかけをお尋ねしてみました。

「僕は下田茶園の5代目なんですが、母が37年前に有機肥料無農薬栽培に変えました。母から聞いた話なんですが、今では有機農業が盛んな地で有機無農薬栽培をする人は、ほとんどいない時代だったそうです。父が防除の際に軽装備でやっていて、夜、晩酌をしていて具合が悪くなり、二日間頭痛で寝込んでしまって。母は食物学を学んで、家庭科の先生の資格を持っていたので、食や農薬について知識があったんです。それで、安全なお茶をつくっていこうと思ったそうです」
農作での病害虫などの予防と駆除を行うこと

当時は有機無農薬栽培を始めると言うと鼻で笑われ、冷たい目で見られてしまったそう。小さな地域社会の中で疎外感に負けず、信念を貫くことは大変です。

力強い茶葉の色も印象に残りました

土の生態系が出来上がるまで、時間もかかり収量も落ちて、持ち直すまで何年もかかったそう。

「切り替えてから3年目まではものすごく厳しかったようです。母も父もいろいろ勉強して5年ぐらいで落ち着いてきて。7年目には、お茶の品評会で賞を取ったという記事が残っています」

お母様はオランダまで有機栽培の視察に行き、新しい価値観に出会うことに。

「オランダの人達の『家や器具など古いものを長く使うのが誇らしい』というところに感銘を受けたようです。例えば、新しいトラクターを買ったと自慢するのでなくて、このトラクターは30年も使っている! と。この家も、そんな価値観を大切にして、昔の梁などを生かし改築したんですよ」

釜炒り茶は黄金色のお茶

釜炒り茶の特徴は、生葉を高温の釜でパチパチと炒っているため釜香(かまか)という香りがするところ。さらにお茶の色は、きれいな黄金色です。

経済的な面では、どんなご苦労があるのでしょうか。

「母が農協頼りではいけないと思い立ち、お客様を開拓していきました。今は、定期発送を月に2回していて、予約販売を承っています」

それから、釜炒り茶は美味しいと言うお客様の口コミで、少しずつ認知度が広まっています。新しいお客様と30年以上続いているお客様の両方に支えられているそうですが、お客様の高齢化も進んでいると言います。

「新たなお客様も増えていくようにしていきたいと思っています。生産は自然が相手なので大変なことはいろいろあります。販売は今のところ信頼関係で成り立っている状況です」

定期発送に添えられている「お茶だより」には、先代のお母様の食糧危機などの問題提起や農村の様子に、3年前から小百合さんの「農家の嫁日記」も加わりました。

右から、和紅茶 ティーバッグ 3g×15パック:540円(税込)
釜炒り茶(特) 100g:1,620円(税込)
ほうじ茶 120g:540円(税込)
釜炒り茶(八十八夜) 100g:1,296円(税込)

先代のお母様は、子ども達に、風邪ひいたら寝て治す、薬を飲まずに手づくりの卵酒や生姜湯を飲んで汗かいて治すなど、自然治癒力で病気を快復させるような人。

「うちにはコーラやカップラーメン、お菓子もありませんでした。そのおかげで、添加物が入ったものを食べると、次の日にはすぐに吹き出物ができたり、お腹をこわしたり(笑)。うちの奥さんは顔にニキビがあったんですが、結婚してから1年間はどんどん肌に吹き出物が出て。でも今はすっかり治っています。米や野菜もここでつくっている食なので、一年かけて体質が変わったのかもしれませんね」

有機無農薬栽培のお茶と野菜、農作業、この地の暮らしが相まって、デトックス効果につながっていったようです。

すべてお父様の手づくり。釜炒り茶の製造工場

高齢化が進んでいるという山都町で、これから「しもだ茶園」はどのような方向性を示していくのでしょうか。

「今後、通潤橋の管理など修理できる人がいなくなるのでは、という危機感があります。自分が50代になった時に農業用水を確保できなければ、お茶や米づくりはできなくなる。この地域において50歳以下で専業農家をやっている農家さんがほとんどいないんです。釜炒り茶の青年会に入っているのは僕一人だけ。辞める人も多く、絶滅危惧種のようなものなので、その分クオリティを上げて美味しいお茶をつくらなければ、と思っています。家族だけでやっているので、農地はどんどん狭くして、それだけ品質の良いものをつくっていく方へシフトしています」

しもだ茶園の玄関
モノトーンでモダンな感じがします

「あとは、僕たち夫婦の試みなんですが、子どもたちに農業や農村の良さを知ってほしくて、夏休みや春休みに小学校2年生から中学校3年生までの子供たちを預かっています。『夏の農村体験』です。農村の暮らし、例えば田んぼの草取りなどの農業体験や山で秘密基地づくりなど、自分が子供だった頃の遊びをやってみたり。薪を山からひろってきて、釜戸で毎食ご飯を炊くんです。子供たちは自分で火をおこせるようになるんですよ! 自分たちで汗水たらして炊いたお米や野菜など美味しくて、食べ物を残す子はいないです」

景観は通潤橋ができる以前の貧しかった時代に戻っているようだ、という博臣さん。茶畑や棚田こそ山都町の貴重な景観です。そして希少な釜炒り茶。博臣さんは、今の農地を守り、農村の楽しさを伝えていく継承者になりたい。そんな「いかした田舎おやじ」になりたいそう!

 

農村など、地域社会の課題は思った以上に深刻です。移住者は増えていますが、就農しても辞めてしまう人は多いそう。貧しかった地域を豊かな大地に変えた素晴らしい歴史を持つ山都町。さらに良い方へ変わっていくよう応援していきたいと感じました。


しもだ茶園  
https://shimodakamairi.amebaownd.com/
しもだ茶園 無農薬釜炒り茶 https://www.instagram.com/shimoda_chaen/?hl=ja

 

《関連キーワード》
, , , ,

執筆者:奥田 景子

ライター(エシカルファッション、フェアトレ-ドなど)。福岡県生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業後スタイリスト。以降雑誌を中心にしたスタイリスト。社会的なことに興味を持ち、大学院で環境マネジメントを学ぶ。理学修士を取得。2013年から福岡を拠点に移してライターとして活動中。

人気のWebコンテンツはこちらです

お問い合わせ